
家族で作る自然農の畑。娘のアトピーを寛解させ、末期癌の私の元気の元となっている
薬物アレルギーを持っているため、
できるだけ薬や病院のお世話にならないように、
気を付けて生活していたつもりが、2019年
の夏疲労感から病因を受診
「乳がん、リンパ・骨転移末期ステージ4の宣告」
を受けた私の記録です。
初期のホルモン剤はどうにか飲めたものの、
半年で薬効は切れ、注射によるホルモン剤投与2か月後
足裏の感覚が鈍くなり、3か月で画びょうを踏んでも痛
みを感じられず、足首から下の感覚も無くなった。
投薬の中止をお願いしました。
「飲める薬あるかな?」主治医が発した質問に、
答えられる知識もまだなくて・・・
「五歳の娘に、苦しむ姿だけは見せたくありません。」
と小声でいうのがやっと。
「癌はいろんな治療方法があるから。医学は進歩してる。
君の体質に合う治療もあるかもしれない。」
それから1年半ホルモン剤以外薬剤を飲めないまま、
癌マーカーがじりじりと数値が増していった。
そんな中、コータック治験 脊椎とリンパと肝臓の定位照射等、
放射線治療で患部を焼くことに専念した結果、癌マーカーの値が、
すべてが正常値となり嬉しくて社会復帰を準備を始めた私に、
治療から4か月後、再びの肝転移が判明。
薬が飲めたら再発を防げたかもしれないのに・・
「しかたない。」
放射線は同じ場所には使えない。。薬も肝臓がやられたら、
化学治療はいっそうやりにくくなる。
本気で。。。飲める薬、飲める方法をためそう。
終活をはじめると同時に、薬物アレルギーで末期癌を受け容れて
くださる病院を探しはじめた。インターネット時代のお陰で、
以前なら素人が手に入れることは難しかっただろう治験結果や
研究結果、海外の治験のフェーズの詳細まで、読むことができた。
あと一歩でつかめるはずだった寛解をのがした悔しさと、
まだ八歳の娘の存在が折れそうになるのを防いでくれる。
そんな中、一緒にがんばろうといってくださる病院が見つかった。
今までためした薬剤への自身の体の反応を資料にまとめた。
CTの造影剤のヨードで体が赤くはれあがり緊急入院になった事、
経口抗がん剤での溶血性吐血、血圧急降下で救急搬送された事、
古いところで結核性肺炎の薬で仮死状態になってお花畑を見た記憶。
終活作業と希望を込めて職場復帰両方の準備を始めた。
一命を一瞬とりとめることができても、その後、体を管理でき
なかったら娘の幸せを守りつづけることはできない。。5年前、
重度のアトピーと呼ばれた娘を、海外の病院や徹底した食事療法
で夫婦で寛解にみちびいて、今は全くステロイドや薬剤を必要とせず
美肌を保つ娘と、夫婦で始めた完全無農薬無施肥の娘のための野菜畑・・
「娘が自立するまで、畑を作り続ける体力を私にお与えください。」
神様に朝願ってから一日を始める。