3⃣ 足の感覚がなくなった?! 薬剤の副反応?? 

ゴーヤは癌に聞くといわれていて、夏の主食としています。ご近所にゴーヤを夏の間ずっと家まで届けてくださる方がいて、、生きる希望をいただいています。
フルベストラント 
を打った5月の午後、病院の治療用ベッドがら両足を床に
下ろした時、
「右足の裏が床を感じない!!」
目で確認しながら足を何度おろしなおしても、確かについ
ているはずの両足の裏が、床の感覚を伝えてこないことに
私はぞっとした。またか・・・
「歩けますか?」
「大丈夫です」
一時的な痺れだろうと自分を納得させながら、病院から
自宅に戻る間も、ふわふわと右足だけまるで雲の上を歩
いているかのように頼りない感覚だった。
「この薬が切れたら使える薬は。。。」主治医の呟いた
言葉が頭の中をぐるぐると回り
「我慢できる限り、この症状は我慢しよう・・・まだ死にたくない!」
思わず独り言が口から出てしまった。


娘のアトピーの食事療法のためにお願いした遅延性食物
アレルギー検査キットがとどいて娘の血液と髪をラボに
送り、アレルゲンの特定をしてもらうしくみだった。
小さな指の5,6本に針を突き刺し十分な量の血液を絞
り出して、試験管半本くらいをラボに送る。
血の適量を確保するために娘の両手の指を血まみれにし
て、それでも泣かない娘が不憫だった。
「がんばったら、病気よくなるんでしょ。ぜんぜん平気
 だよ。パパ、ママありがとう。」
歯を食いしばる幼い娘といっしょに、夫と二人泣きな
がらその指の血を絞っていた。
結果は二週間で来て、驚くことに、126品目にも及ぶ
食品の摂取制限が推奨されていた。

「ごめんね。今まで気がつかなくって」

それから、一週間かけて家庭の食事のメニューを夫婦で
組みなおし、夫はアーユルベーダの資料から、娘の生活
習慣全部を作り直した。
一週間の単位で、娘の肌は明るさを少しづつまして行き、
それでもアレルゲンを少しでも体に入れると、痒みを起
こす。食事や生活スタイルを調整すると痒みも収まる。
繰り返しの中で、私達は少しづつ娘に合うスタイルを学
んだ。汗ばんだあとの皮膚の清浄にはティーツリーオイ
ルや、ドクダミの旬の時期には絞り

たての汁をアルカリイオン水で半分に薄めたもので拭く。
乾燥したセイタカアワダチソウの汁をお風呂の中にいれ、
親子で遊びました。
三か月後、まだ痕は残るものの娘の肌は薄ピンクのきれ
いで、柔らかな肌となって、夜中のぼりぼりと皮膚を掻
く音も、聞かなくなっていました。奇跡が起きた・・・?
神様ありがとうございます。

時は2020年8月。

しかしその頃、私の足はもう画びょうを踏んで血が流れても、
痛みを感じないまでに麻痺が進んでいた。右足は完全に、
左足もそれに近い状況となり、走ることはもうこわくて
できない・・・。
「限界です。投薬の中止をお願いしたいのですが・・・」
私がそう依頼をしたとき、主治医は小さくうなづいてく
ださって、
「どこか試みたい治療を見つけられたら、資料を準備し
ます。紹介状も書きますから」
と言ってくださった。
そこからホルモン治療を完全にあきらめる12月までに、
右手でペンを握ることが不自由となり、B12製剤を服
用を始めると同時に、ホルモン剤投与を中止した。
「どこにでも紹介状って・・・治る方法は自分で探せと
 いうことですか?先生」
口には出さないが、寂しいような、心細い感覚を覚える日々、
娘を抱いて眠ることで、心をどうにか立て直す。
 
薬の投薬を中止した私の癌マーカー値はじりじりと
だだ上がっていきました。
それとともに、脊椎近くにある骨の痛みで眠れない夜
が始まったのでした。