⑮ 神様逝く(主治医 菅先生が亡くなる)

人はいつか死ぬ。分かっていたのに、名医と言われた主治医を失って、私は路頭にまよった


<名医 菅先生 逝かれる>

「薬物アレルギーか・・・よくここまでがんばったね」
放射線治療のかいもなく、肝転移をしてからマーカー
の値が上がり続ける私を、面倒がるそぶりもお見せに
ならず慈愛に満ちた目をして、先生は初対面で私に言
われた。

 「私の知っているかぎりの経験とあなたの粘りで、
 道はきっとありますから、がんばりましょう。
 今日から私が主治医ですから。」
 
  嬉しくて涙がでた。
 ホルモン剤で神経麻痺 一般的なエンドキサンと
 いう薬を菅先生にためしてもらった時も、溶血性の
 吐血をおこした。水も飲めない数日をすごしたあと
 先生とたどりついたのは、
  
一番緩い少量の経口抗がん剤を大量の重曹水で胃壁
 を防御しながらいっしょに飲むこと。
効果は不明といわれながらも、
理論的にはタイムリリース型のビタミンCを大量
摂取すること。この2つにどうにかたどりつい
たあと・・・
  癌のマーカー値がじりじりと回復を見せ始めた。
  副作用は今のところ出ていない・・・
  この薬の名前はフルツロン酸、私の神薬。

  なのに、神様は2023年9月に亡くなられて
しまわれた。帰ってくるからとおっしゃってい
  たのに、骨折で入院でそのまま・・・

  他の病院では処方されないといわれていたのに、
  何度か救急でお世話になった小さな公立病院 
  京北病院の先生が、引き続き同じ薬を出してく
  ださることになり、今に至る…この先どうなる
  のか・・・
         私にも、誰にもわからない。








 


 


 

 





 


⑭ やけくそか?農地を買って、無農薬野菜を作り始めた

癌でも癌でなくても、人はいつか死ぬんだから、今日を納得していきようと思う。


<無農薬野菜を娘に食べさせたい>

「ステージ4の癌は治らない」
と何度も反芻するように自分の中で唱えると、
そのうちやけくそなのか
「誰でも必ず死ぬ、面白おかしく天寿を全うするさ」
と反射的に言葉が湧き上がってきた。

 娘のアトピーはほぼ完治といえるほど、美しい
 肌となり、食べ物の大切さを痛いほどしった私は
 娘の主治医の「化学薬品に弱いですね」という
 ことばがずっとひっかかっていて、それなら、
 化学肥料も農薬も使わないで食べ物を育て、
 いつまで、この身体がもつかはわからないけど、
 娘といっしょに畑で自分達の食べるものを作ろうと
 思い立った。
 健康体でも厳しいのに、私は2反近くの畑をかって、
 野菜の苗を植え始めた。

 「あほなことして、あんた死ぬよ。安静第一」
 といってくれる多くの人の中、思うようにしたら
 いいよ。草刈りとか手伝うからと・・・神様のような
 友人の助けをうけて、農業をはじめた。
 神様4人衆(のちに詳しく・・)のお陰でライムギ 
 菊いも さつまいも 豊作。

 いろいろ考えて最後にたどりついたのはただ
 「娘が大事」「娘に最善の今を伝えたい」
 本当に単純で短絡的な母だけど、愛を形で伝えたいと
 思った。それを形で残したい・・
 
 私のつくったにんじんを甘いといって食べる娘を見たら
 なんだか元気が湧き上がる。

 神様四人衆様 ありがとう。ほんとにありがとう。


  







 


 


 

 





 


⑬ また・・また・・転移・・でも名医見つかる!

放射線治療完了後半年たって、癌マーカCEAは基準値以下まで下がり、
放射線治療前には想像もつかなかった幸運に深く感謝した日々。
しかしそれは長く続かなかった。


<放射能治療完了→再発?>

一通りの放射能治療が2022年3月末
に終わった。これから一年間、放射線の
結果を待つ時間。。。
「できる外科的処置は全部終わりました。
薬についての相談をできる先生を探してね。」

副作用ができるだけ少ない抗がん剤。
私が飲める薬を使っていらっしゃる先生
を新たに短期間で探さなくてはならなか
った。

 主治医にいただいタモキシフェンという
乳癌の標準薬も、飲んで3日目に骨と目に
軋むような痛みで夜中に目が覚め、怖くて
止めると2日目にはその痛みが止むという
ことを2回繰り返し、とうとう飲めなくな
ってしまっていた。

以前の薬の影響か?両足の感覚ももどら
ないままなのに、これ以上体に不自由な
部分ができる可能性は避けたい。でも、
転移はもっともっと怖いという気持ちで
落ち着かないまま、毎日WEBで抗がん剤
の作用順序と効果、病院が出しておられ
る治癒データ、治療方針を探し続けた。

できれば保険治療もされている先生に出
会いたいと思った。
ステージ4で完治を望めないこの乳癌。
先も長く続く?であろう治療の費用を考え
ると、快適で安価な費用で長く日常生活
を保てる、私の薬への耐性の低さを理解
してくださり、微細な薬量の調整と癌治

療の共存のバランスを探す協力をしてく
ださる経験豊かな先生を探さなくてはな
らない。

放射線では一時はおさまっているだけ。
再発は時間の問題だと分かっていた。

「ママ、お目め腐るよ・・・」
娘に言われるほど、一日のほとんどを
コンピュータに向かって治療方と病院
について調べた。
HPにご自分の実績をのせておられる病
院を探し、自分に合いそうだと思う治
療をされている病院を見つけるや電話
で直接詳細を聞いた。
製薬会社にも薬の実績を問合わせ、
動物の癌治療で定番や実績のある治療
や薬物、サプリメントに関してもそれ
が大型哺乳類について有効とのエビデ
ンスがあるものには、自分の体で個人
輸入で試した。



見つけた!京都市。家から車で一時間
半。経口抗がん剤の副作用が少ない
ものと、効果を補うためにホルモン剤
等を併用され、また薬量を調整して末
期癌の長期生存者を多く輩出されてい
る個人病院。
肝臓の癌を放射能で切除
したばかりだというと、その滋味深い
笑顔の先生は、
「いろいろ調整しながらいっしょに頑
張ろ。同じような病状でも、20年以
上普通に、お元気な方々もここにはお
られるよ。」


まだ治療も始まる前なのに、先生の言
葉を聞いただけで安心感からフッと涙
が出そうになった。

先生のもとでヒスロンHとフルツロン
酸。そして副作用を弱めるために大量
の重曹水と合わせてこれらを同時に飲
むといいう方法をとった私の癌マーカ
は急激に下がり始めました。(本来3
種類を混合するところ、調整で2種類
としていただき、量も減らしてもらい
ました。この量では不安があるけれど
また考えましょうと。)
そして、4か月後の7月、癌マーカー
の値はとうとう平常値ぎりぎりまで落
ちたのです!







  







 


 


 

 





 


⑫ お薬クッキング 抗がん薬草クッキー編

乳癌薬草漢方薬ブレンドを粉にして、アーモンドの粉と羅漢果
(糖尿病者用天然甘味料)で乾燥し
た自家製クッキー。見かけは馬糞
だけど、美味しい。(自画自賛
肝転移がわかった。3個はまだ
初期に入るだけど・・・
「放射能で切ろう!」決心は一瞬だった。
保険が使えないなら、200万に近い出費
の可能性。でも転移三個までは保険が使え
る。転移3個は十分処置できる範囲だと、、
担当の先生とスタッフさんの明るさのお陰
で、心は不思議と落ち着いていた。


体の型をとって型の完成を待つこと一週間。
型の中にはまって2週間程度毎日通院治療
の予定。患部は全部切り取れる予定。と詳
しい説明を聞きながら、進展の早い肝臓転
移の個数が増えたらどうしよう等、正直な
不安も聞いてもらった。

「放射線処置はこれで終了しました。放射
線の効果は数か月かかって現れます。副作
用が出ることもあります。どんなことでも
気になることがあったら、すぐに病院に問
い合わせてください。」

吹雪の中を放射線治療に通い始めて、治療
最後の日は桜のつぼみが膨らみ始めた中を
自分の足で歩いていた。体がだるく感じる
以外は大丈夫。私、まだ生きている。
骨の中、体内に癌幹細胞は残っているけれ
ど、放射能の副作用も出るとしたらこれか
らだけど・・1つやりきった。
笑いながら歩いたせいか、知らない方数人
から笑顔の挨拶をもらった。
夕焼けの光が眩しかった。

治療中、私は気晴らしのため、苦くて飲み
憎いと感じていた半子蓮と百花蛇舌草のブ
レンド茶を粉に惹いて、アーモンドパウダ
と、羅漢果を甘みに、ココナツオイル少量
をつなぎに、生地を作り、高温乾燥機に、
160度 15分で焼き固めてクッキーを
作った。見掛けは馬糞だ。でも美味しい。
何度か作る内にお気に入りの配合もできた。

「糞くらえ・・・」
と、一人呟きながら口にした。おいしいやん。









 


 


 

 





 


⑪ 放射線でたたくも・・・また

長く生き続けておられる末期癌の先輩がたくさんいる。
その事実を励みに
歩きつづけようと思う。
脊椎の骨転移の激しい痛みを
放射能治療で押さえ、どうにか
平常の生活を取り戻せたことに
気をよくして、放射線で癌全体
を直接たたいた。

右乳癌原発はコータック(治験)
脊椎骨(定位ピンポイント照射) 
肝転移、リンパ節(定位照射)
右半身の大部分を被ばくすることとなっけど、
四か月後にはほぼすべての癌が姿を消し、
マーカー値が標準値となった。

癌幹細胞がやられない以上、
次の手を考えておかないとという
気持ちではいたけれど、やっぱり
嬉しさが込こみあがる!!


ただ、二回戦は予想より早くやってきた。
マーカーが標準に落ちたその四か月後、
おとなしかったマーカー値が上がりはじめた。
エコーで見てもらった肝臓には
「小さな点々が散っているよ」
と、新しく主治医になってくださった
ガン専門病院のベテランの院長・・・
「転移はやかったですね・・」
と答涙目の私に、
「肝臓ね、骨も薬で消えるからね!」
主治医の優しさがありがたかった。

ヒスロンHとフルツロン酸、粉に砕いて
大量の重曹水と飲んでアレルギー反応の
溶血性吐血を防ぐ。
マーカーも徐々に下がってきた。
(薬物アレルギーのためフルツロンサンは半量)
癌幹細胞を抑える効果があるとされる
ビタミンDとメトホルミンを併せて飲む。。

「順調だ・・・」何よりの主治医の言葉。

自家菜園の野菜を毎日食べる。
娘と夫とと休日に人参の葉とハト麦の全粒粉
でつくったお好み焼きを食べる。
家族で笑っていると体中の癌が
縮んでいくような感覚を覚えた。

薬物アレルギーを理解してくれる主治医。
自分の中の感覚を大切に生きられること。
愛する家族。。
支えてくれる大切な友人達。。

せっかくこんなに素直な体に生まれたのだから、
心も素直に生きていこうと思った。



 

脊椎の骨転移の激しい痛みを 放射能治療で押さえ、どうにか 平常の生活を取り戻せたことに 気をよくして、放射線で癌全体 を直接たたいた。 右乳癌原発はコータック(治験) 脊椎骨(定位ピンポイント照射)  肝転移、リンパ節(定位照射) 右半身の大部分を被ばくすることとなっけど、 四か月後にはほぼすべての癌が姿を消し、 マーカー値が標準値となった。 癌幹細胞がやられない以上、 次の手を考えておかないとという 気持ちではいたけれど、やっぱり 嬉しさが込こみあがる!! ただ、二回戦は予想より早くやってきた。 マーカーが標準に落ちたその四か月後、 おとなしかったマーカー値が上がりはじめた。 エコーで見てもらった肝臓には 「小さな点々が散っているよ」 と、新しく主治医になってくださった ガン専門病院のベテランの院長・・・ 「転移はやかったですね・・」 と答涙目の私に、 「肝臓ね、骨も薬で消えるからね!」 主治医の優しさがありがたかった。 ヒスロンHとフルツロン酸、粉に砕いて 大量の重曹水と飲んでアレルギー反応の 溶血性吐血を防ぐ。 マーカーも徐々に下がってきた。 (薬物アレルギーのためフルツロンサンは半量) 癌幹細胞を抑える効果があるとされる ビタミンDとメトホルミンを併せて飲む。。 「順調だ・・・」何よりの主治医の言葉。 自家菜園の野菜を毎日食べる。 娘と夫とと休日に人参の葉とハト麦の全粒粉 でつくったお好み焼きを食べる。 家族で笑っていると体中の癌が 縮んでいくような感覚を覚えた。 薬物アレルギーを理解してくれる主治医。 自分の中の感覚を大切に生きられること。 愛する家族。。 支えてくれる大切な友人達。。 せっかくこんなに素直な体に生まれたのだから、 心も素直に生きていこうと思った。

⑩  一難さってまた一難・・・肝臓転移

2021年のクリスマス。主治医の検査をすませ、放射線手術へ・・・でもその後4ヶ月で再発・・・
<治験にすがる>

薬にだけ頼れない私は放射線治療コータック
(増感放射線治療)という治験を受けたい
と思い、高槻市の大阪医科大学に頼った。
幸い、症状から保険の範囲内でコータック治
療が受けられることがわかり、すぐ申し込んだ。
治験の条件は、コータック治療のみでの完治を
望めず、転移箇所は多くないことが条件で私は
幸い治験の対象となることができた。



「治験対象となります。予約を取って診察にお
 いでください。」
大阪医大の担当の先生から直接電話をいただい
たのが2022年1月。治験終了間際だった。
((注)大阪医大のコータック治験は2022
 年度内で終了しています。)

右胸胸筋に広範囲に深く浸潤した私の乳癌は、
もし外科手術ができたとしたら右乳房全体の切
除、胸筋も広範囲に切除が必要とされ、右上半
身に大きな副作用が生じることは避けられない
状況でした。放射能なら腕の運動機能は残る!

2022年の2月いっぱい、私は放射線治療に
通った。治療に専念した2月が終わり、最後の
検診で大阪医科大の先生より、CTの結果診断。

「残念なお知らせがあります。肝臓に転移が複
 数みつかりました。」
と足元が崩れるようなお知らせをもらった。

癌患者にとって、肝転移は進行が早いこともあ
ってほぼ余命宣告に等しいものだという自覚が
あったので
「ここまで・・か・・・」
私は床をだまって見つめた。

しばらく沈黙の後、
「でもね3個だけ。3個までなら保険で切れる。」
と担当医。

「今日、このまま予約をとってください!」
私は思わず叫んでいた。


 


 


 

 





 


9⃣ 見つかり始めた生存への道

いつもここに座っている我が家の猫・・・なかなか体にぴったりと合う薬にであわない苦しい時期の愚痴り相手。
自由診療の先生に推薦していただいた薬は
よく効きました。でも、一か月も続けると
膵臓がしくしくと痛んだり、白目が黄色く
なるなどアレルギー症状との戦いも日常に。

「僕はこれずっと飲んでるよ。合うかな?」
先生は他の病気で使われる薬を、その構造や
働きを組み合わせることで、抗ガン剤として
また抗がん剤の補助剤として、効果があると
エビデンスのあるものをたくさん
見せてくださいました。

「標準治療の薬の薬効が切れた患者
 さんにも希望はあるんですよ。」

先生の言葉は、我儘な自身の体の反応に
ほとほと嫌気がさし疲れきった私の心に、
再び気力を与えてくださいました。
保険外の治療費。でも保険の効く病院の
治療に比して高いものではありませんで
した。

私は初めて、副作用を自分で調整する。
飲んで効果のある薬を自分で探す、自分
を中心とした治療生活を先生の監修の下、
アドバイス受けられるという環境の下で、
始めることができました。
(使えるとわかった薬)
 ・百花蛇舌草と半枝蓮とセリ科
  の種をブレンド
(クッキーを作って常用)
 ・アーユルベーダ薬アシュワガンダ 
 ・ベンフォチアミン(ビタミンB1)
 ・ジクロロ酸ナトリウム
  (少し胃にきました)
 ・フェンベンダゾ―ル
  (副作用が出て、3か月のみ)
 ・メトホルミン
  (時々お腹が痛み、頻度を調整) 
 ・注射薬ピシバニール
 ・タイムリリースビタミンC 
 ・ビタミンD3+k2またはビタミンD3
 ・ナルトレキソン少量
 ・イベルメクチン
*服用中異変を感じたら、自分自身 で調整をはかることを教えていただ きました。 ] 「大きな癌の総量を物理的に減らしたい。」 「自分が元気だと感じられるかが大切。」 いろいろ効く薬剤にも出会えた。 マーカーも上がったり、下がったり でも・・・ 原発の乳癌は小さくなってくれようとは しなかった。少し疲れてしまった・・・ 著効が欲しい・・・ 「放射線で病巣を切りたいんです。。。」 定年を三か月後に残した元主治医に、 ある日、私は懇願しました。       

8⃣ 探す‥探す・・探す

癌のマーカーがどうしてもおちなくて苦して本屋をさまよった時に衝動的に買った本。
丸山ワクチンに加えて、癌のサバイバー
が集まる患者会等。資料を集める中、
薬物アレルギーやそれに近い方々の中で
高いステージで長期生存されている方
その方がされている方法を知ることに
集中した。

薬剤で副作用が少ないとされ、私でも
使えそうな薬を使って治療される病院
を可能な限り調べ、治験中の薬や別の
病気で使用される薬も抗がん剤として
使われることを知った。

重度癌患者を長期生存に導かれている
データを公開されていたり、自由診療
の治療にはなるけれど、高価でなく、
ためしてみたいと思う方法もいくつか
みつかった。

病院のHPにしっかり生存率や、薬剤の
効用効果を詳しく載せておられるところ
もあって、自分がその薬に耐えられるか
は別にしても、読むだけで元気がでてく
る病院も複数。


「なおれば、なんでもなんでもいいんです。」
とおっしゃった定年になられ、お別れした
けれど信頼していた最初の主治医を思い出して、
毎日検索を続け費用と自分の体でも可能かも
と思える治療法をメモしては、施設に直接
問合わせることにも日常となった。

新しく出会って担当になってくださった
自由診療の先生は、
「個人で買うと医療費控除にならないですよ。」
と笑顔でおっしゃりながら、費用を抑えるなら
ここもあるよと、アメリカのサプリメントサイト
と、その後人生になくてはならなくなったサイト
「iハーブ」を教えてくださいました。

私自身はこちらも使っています









 


7⃣ 探す・・探す・・見つかるまで探す

癌の宣告を受けてから、一日中
笑顔を作る。無理でも笑顔。
脊椎の骨転移の激しい痛みから放射能治療の
おかげで、どうにか平常の生活を取り戻し、
病休で、時間がとれはじめたこともあり、調
べものに専念ができた。


「なおれば、なんでも、なんでもいいんです。」
とおっしゃった主治医の顔を思い浮かべ、
費用と自分の体でも可能かもしれないと思える
治療法をメモりしては、その施設に直接問合わ
せ続けた。漢方やサプリメントの多くも病院で
活用されているのも知った。

「高い治療が良い治療とは限らないです。」

「本当に自分に合う薬は、ためしてみないと
 正直わからないのです。」

「僕自身は自分でも、これとこれを〇〇のた
 めに使っていますよ・・・」
新しく会えた漢方も心得のあるその先生は、
個人輸入で買うと医療費控除にならないです
よといいつつも、費用を抑えるならここでも買
えるよと、アメリカのサプリメントサイトと、
その後私の人生になくてはならなくなったサ
イト類を教えてくださった。

薬の作用順序や副作用も詳しく教えて
くださり、私に薬を自分の体調を見ながら、
調整していくことも教えてくださった。

「iハーブ」は使いやすく、食物アレルギーの
娘のための食品類をそろえるにも便利。
ヘビーユーザです。


こちらも使っています







 


6⃣ 生き残りをめざして  初めの一歩2020秋

脊椎の骨転移の痛みが放射線治療で消えると、不思議と「死ぬ」という感覚が遠のいていきました。。そんな思いとは裏腹に、癌マーカーはじりじりと上昇していった
2020年の秋でした。
脊椎の骨転移の激しい痛みから放射線治療のおかげで、どうにか平常の生活を
遅れるようになった2020年の冬でした。
「安心はできませんよ。」
主治医の言葉を思い出しながら、癌マーカーがじりじりと上がっていくのを見ていました。
ホルモン注射(フルベストラント)も副作用が怖くて打てない。、かと言って標準治療
で使う強い抗がん剤にいたっては主治医でさえ、私には副作用が強すぎるとの懸念から二の足を踏まれた。
「せめてフルベストラントくらい打たないと」
との主治医の言葉に
「もし、この両足の麻痺が薬からくるものなら、私は歩けなるかもしれません。」
強い不安の姿勢を見せる私に、とうとう主治医は静かな声で、
{いつまで生きられると思いますか?」
といわれた。余命宣告とはこういうものか・・・。
「あと15年、娘が成人する姿がみられたら、うれしいです・・」
とおどけて言う私に主治医は、
「そんなことができる方法があったら・・・」
下を向いたままつぶやかれた言葉に、申し訳ない気持ちがして笑ってしまった。
もう、頭のどこかが壊れていたように思う。。

「丸山ワクチン、してみたいのです。」
標準治療ではない、その歴史の古い治験で、病院の収入に全くつながらない治療に
主治医は快く同意をしてくださいました。
「癌が静まってからならまだしも、この重度の進行がんに効くとは・・・思えないが・・」
それでも、主治医も病院のスタッフさんも一回200円にしかならない、書類も他の
処置もほぼ無料で行う治験ワクチン「丸山ワクチン」に快くGOサインを出してくださいました。


その丸山ワクチンをもってしても・・・
私の癌マーカーはじりじりとあがり続ける2021年の早春でした。

「あなたに合う治療は、なんだと思う?この公立病院できないのなら、私ができない
治療なら前に言ったように紹介状をかくので、しっかり調べて考えて。」
その言葉と同時に、
「あなたもわかっていると思うけれど、ステージ4の癌はもう治らないんですよ。」
主治医が誠実な横顔に苦しさを嚙み潰したような表情を浮かべて、小声で呟かれた。

「先生、天寿癌という考えがあって、末期癌でも共存に成功する人もいるみたいです。」

「なおるなら、なんでも、なんでもよいんですよ。僕は。。」

私が強い薬物アレルギーといっても、飲める薬、試せる薬はあるはず。
一つ一つ自分の体で試していこう。。。
調査と行動だけが道を開くのだと思うと、ぞぞっと身震いが背中に走るのでした。

「私の娘、全身のアトピー性皮膚炎、最近寛解したんです!」
診察室のドアを閉めながら、主治医にそう伝えた私に

「奇跡にはどれにも、理由がありますよね!」
久しぶりに見る主治医の笑顔だった。