
酷い倦怠感と右腕の痺れに、50肩かな?
ぐらいの認識で、病院に行った私は、MRIを受け、続けて「骨シンチ」という骨の
レントゲンを受けました。骨粗鬆でもついでに見てくれるのかしら?ぐらいに思って
待合の椅子に座っていた私の横に、柔和な笑顔をたたえた看護師さんが、座ってくれて、
「今日はお一人でこられましたか?お家の方は同席は可能でしょうか?」
と丁寧な物腰で聞いてくれました。
瞬間、嫌な予感・・・
「長く生きていますから、一人でも大丈夫ですよ。」
診察室で医師はたんたんと検査結果を告げてくれました。
「これ、この白いの。。。胸筋にはりついてる乳癌。あとここもね、リンパにね。」
「こっちの写真で骨が黒く映っているところが、骨転移ね。」
「骨転移があるから、手術はできないと思ってください。なので薬物治療が中心になります。」「じゃ、看護師さんに準備してもらいますね。」
流れ作業のように言葉を続ける主治医に、私はおそるおそる告げました。
「先生、私、薬物アレルギーがひどくて、風邪薬で目の焦点合わなくなったりしますし、
小学校で結核を患った時は、ストレプトマイシンのショックで心停止してしまって・・・
「クロマイという薬で首の骨もすこしもろくなっているようです。」
「少し前に造影剤(ヨード剤)で全身赤くはれて、呼吸困難をおこしたことがあって・・」
診察室の空気が重く淀んでいく気がしました。癌の宣告で意識が朦朧とした中でもとりあえず
これだけは先に伝えておかないとと思った薬物アレルギーに関する申告は、まるで自分の生き残る
可能性を全て打ち砕き、ゼロにしたかのように思えはじめて・・・
「まずは、ホルモン剤でどれだけいけるか。。この薬よく効きますから。」
貼り付けたような優しい笑顔を、主治医は私に向けてくれました。
「よろしくお願いします」
私は気絶してしまわないよう。大きく目を開いたまま頭をさげました。
床も壁も人の顔もがみな、薄い灰色の境界がぼやけた景色の中、病院の出口からどうにか出て、
フェマーラという薬を抱いたまま、病院の隣にある公園のブランコで絞りだせるだけの涙を
絞って、少し軽くなった体で娘と夫の待つ家へ、笑顔を固く張り付けて向かいました。
「どれだけいけるか・・」
フェマーラとい最初の薬の効果が切れた私の癌マーカー値が跳ね上がり始めたのは。
それから半年後・・・
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