⑯ 治療を引き受けてくれる病院はどこダ?

人はいつか死ぬ。分かっていたのに、名医と言われた主治医に平和な日常を与えられた後、また露頭にまよう日々

<菅先生 逝かれたあと>

菅先生が逝かれたあと、すべての資料をもらって
自分で病院を探すようにといって渡してくださっ
った馴染みの看護婦さんの気の毒そうな目が、
忘れられない。。

幸いなことに、職場の産業医の先生が、菅先生
の次の主治医が決まるまで、同じ薬を出してく
ださると引き受けてくださったが、2024年
の3月には定年を迎えられる関係で、これ以上
は強い薬を責任を持って、病院としてだせない
だろうということになった。。。

飲めるそして効果のある今の薬にたどりつく
まで、薬物アレルギーの副反応に、死にそう
な思いでたどりついたのに・・
期限は2024年3月あと、2か月ちょっと。。
昔買った、AWGという医療機器を久しぶりに
体につけながら・・・
これ、高かったよ(確か150万くらい)
そのせいで、車を買い替えられなくって
今乗ってる軽は、今日で22万1760キロ
になった・・・ちょっと変な音もし始めてる
し、癌でなく車の事故で死ぬのもきつそうだ
からいやだなと思う。。雪も降りそう。。
スタッドレスタイヤだけはまだ2年だから
大丈夫か・・・
あと2か月・・・実は一番近い総合病院に
断られたし、ホスピスにもなんでかわからない
まま門前払いされてしまった・・・くっそ。

務めていた職場の産業医の先生に泣きついた。
最初渋っておられた先生も、命にかかわるから
お願いしてみるから、どうかムチャを言わない
良い患者さんでいてくださいね・・・ト言われた。
よい患者さんって・・薬アレルギーは我儘じゃ
無いのに。。私ひょっとしてヤッカイナカンジャ?

そして・・・フフフ・・・京都市の大病院に入り
込む事に成功しました。。お薬は、今の所まだ
フルツロン酸。よく効いてくれていて有難い。。